記憶とは、自分の頭の中で完結するものですが、誰かとの楽しかった思い出であれば、その話をすることで当時のままの自分が相手と一致した状態で話に花が咲き、とても穏やかな気持ちになることでしょう。
しかし年齢と共に、思い出を共有した仲間と連絡を取らなくなったり、また話す機会が減ってくることで、私たちの記憶の中にある思い出は少しずつ色褪せてきてしまいます。あの日、仲間や家族と共に過ごした濃くて深い時間を、過ぎ去ったものとして心の引き出しにしまったままになり、その引き出しは、だんだんと開けなくなってきてしまう…。
生き生きとしていたあの時の自分、また悔しくてつらかったけど共に過ごす人々がいたから乗り越えられたあの時の自分。どれも大切な自分の一部であり、そのような過去が今のあなたを形成し、懐の広さを形作ることができたのではないでしょうか。
写真1枚を見れば、脳裏には当時の様子が鮮明に浮かびます。走り回っていた幼きころの自分。きょうだい喧嘩をして泣きじゃくっている自分、などなど。写真は白黒でも、脳内に浮かぶ当時の様子はしっかりとしたカラーですよね。そして、言葉には出さなかった心の中で感じた気持ちも浮かび上がってきませんか。あの時、お母さんは微笑んで見ていて、それが嬉しかったなとか。大泣きしたけど、ほんとはもう泣きやみたかったけど意地で泣き続けていたなとか。
私たちは、同じ場にいて同じ体験をしていても、それぞれが心の中で感じるものは皆ちがいます。それらのことも、ぜひ映像という形にして残すことで、自分にも、また周りの家族にも、エピソードのひとつとして残り継がれることでしょう。
想い出を映像に残すことは、ただ誰かに伝えたいということだけではないのです。もちろんそれもありますが、映像制作のために自分の過去を詳細に思い出し、それを話すことで更に忘れ去られていた記憶が次々に芋づるのように出てくることがあります。思いもしなかった記憶がでてくることで、そんなこともあったなと自分がより愛おしくなってきます。こんな自分がいたんだなと。
私たちは映像制作をすることで、皆様の人生の豊かさを取り戻すお手伝いをしています。豊かさは、きっと元々持っていたものですが、忙しく過ぎる日々の中で、流してしまった記憶をそのままにしていているのはもったいないことです。あなたの中にある心温まる記憶を思い出して、ぜひ形にしてみませんか。それはただの年表動画ではありません。あなたが生きてきた証を感じられる作品になるのです。
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